――この人は汗をかかないな。
そう思いながらイルカはカカシの背を眺めた。白いその中央にはしっかりとした筋肉が挟み込んだ背骨の美しいラインがあり、ゆるく窪んで腰まで続いている。肉の薄い腰は硬質そうで、ぎゅ、と絞られたように上がった尻は少年じみた丸みを帯びている。
「痴漢っぽいですよー」
「バレましたか」
楠の枝の間から笑みを見せるイルカを振り仰ぎ、カカシは小川に片足を突っ込んだ。
「覗かなくても見せてあげまーすよ」
「そりゃどうも」
するりと枝から降り、イルカは川縁にしゃがんだ。
「中とか見たいですか?」
「内蔵は結構です」
あっそ、と首を回して腰まで水に浸かり、カカシはふうっと息を吐いた。
「暑いですねえ」
「全くです」
「イルカ先生もいかがですか」
「裸であなたの隣に並ぶ勇気はありません」
ナニソレと笑い、カカシは両手に水を掬って顔を拭った。
配属は一月前のことだった。
里から抜け忍が出る、それは一種の恥であり、なんとしても自力で事を収めようとするのが通常の忍里のありかただ。しかし岩の里は、周辺国にその恥を広報した。
抜けたのは手練れ中の手練れ、それも複数人が結託して抜けた。事態を重く見た三代目とご意見番によって、上忍を隊長に据えた四小隊編成が組まれ、それぞれの隊に教職に就いている者が一人ずつ配属された。
突然の召集を受けて突沸するように混乱するアカデミーに走り書きの引き継ぎ書を残し、四人の教師が国境へと向かったのは真夏の盛りだった。
「先生達、大丈夫ですか」
水浴びを終えて岸に上がったカカシはイルカの顔を覗き込んだ。河原にあぐらを組み、背中を丸めるイルカはひどく疲れている様子だった。
「バテてるでしょ。残暑はきついし、長期の待機なんて久しぶりでしょうから」
「なんとかもってる、ってところでしょう」
「なんでまた、こんな討伐隊にアカデミーの先生を入れちゃったんでしょうねえ」
「全くです。理不尽過ぎて不愉快ですよ。お偉いさん方のお考えはさっぱりです」
「またまた、三代目大好きなくせに」
「それとこれとは別です」
「イルカ先生イルカ先生」
カカシは首を傾げてにこっと笑った。
「たっちゃいます」
「ああすみません、目の前にあったもんで」
むんずと握った性器を離し、イルカもまたにこりと笑った。
「すごく冷えてますよ」
「冷えていいんです、ココは」
あからさまに観察する視線を受けながら、カカシは濡れた手足を振り回す。
「面白いですね、カカシさんの体」
「そうですか?」
「普通、アンバランスに見えるものなんですが」
「何が?」
サオとタマ、とイルカはカカシのそれを指さした。
「体が逞しければ物足りなかったり、逆に線が細いタイプだとグロテスクに見えたりするじゃないですか。でもカカシさんのはあまり違和感ないです。いかにもカカシさんのって感じがする」
「イルカ先生、たくさん見てきたもんねえ。プロのご意見ってとこか。いかにもってどういう感じですか?」
「バランスですよ、バランス。まず、結構ご立派ですけど可愛い色なのでなごむんですよね。色白だから似合ってますし。それから、毛が白いからボカシがかかってるみたいに見えるんです。天然で十八禁ビデオみたいで、カカシさんっぽいなあって」
「イルカ先生の中で、俺ってもしかして変態?」
「イエ、そんなことは」
「イルカ先生のはグロい方? 可愛い方?」
「さあ? 自分の体を客観的に見るのって、意外と難しいですよ。それにカカシさん、前に見たじゃないですか」
「見たけどねえ、状況がソウゼツだったものであんまり覚えてないんですよ」
ぐるぐる肩を回してからカカシは一つ大きく頷いた。
「よし、改めて俺が判定してさしあげます。大開脚しながらお尻に指突っ込んでオナニーして見せて下さい。さあ、遠慮しないで脱いで脱いで」
「暑いのでまた今度」
「やる気だそーよ、イルカ先生」
「やる気出すのはおまえだ」
さっさと服を着ろ、と言いながらイビキがのっそりとカカシの前に立った。
「暑そーだね。半袖貸そうか?」
「放っておいてくれ」
裾の長い黒いコートを着込んだイビキはその懐から書面を掴み出す。
「討伐隊大隊長として命令する。第三班隊長はたけカカシ、隊長の任を離れて討伐隊副長に就くべし」
「えーなんで。副長って今回二人もいるでしょ」
「トウキはさっき死んだ」
「え」
目を瞬くイルカを余所に、カカシは瞼を半分下ろして呆れた声を出す。
「あんな肝の据わらない奴を副長にするからだよー。最後に見た時、半泣きだったよアイツ」
「うるさい。さっさと荷物をまとめて俺の隣のテントに移動しろ。既に三班の副隊長を隊長に、イルカを副隊長に昇格させることが決定している」
「あーあーせっかくイルカ先生とお隣さんだったのに」
額当てを巻き直しながらカカシはイルカの耳元に顔を寄せた。
「俺、イビキの処理係になっちゃう」
「え、そうなんですか」
「トウキがそうだったんですよ。こういうの、なかなかなり手がいませんからねえ、暗部のよしみで俺なら無茶言えると思ってんですよ、こいつは」
「無茶させちゃうんですか?」
「先っぽくらいは入れさせなくもないかなー」
「じゃあ良かったじゃないですか」
ぜーんぜんよかないですよーと伸びをし、じゃあねとイルカに手を振るとカカシはゆっくりと宿営地に歩いて行った。
「無茶もなにも無いがな」
「そうですか?」
ちらりとイビキに視線を走らせ、イルカは唇の先で笑う。
「もうだめですよ、殺しちゃ」
「……」
「気をつけて下さいね、カカシさんは体力無いですから。もし足りないようならいつでも俺を呼んで下さい。微力ながらお手伝いさせていただきます」
「何を言っている?」
「トウキさんって人、ホントはヤリ殺しちゃったんでしょう? イビキさん、昨日の戦闘の後で随分いらついてましたからその反動で」
「……おまえの中で、俺は畜生レベルなのか?」
「イエ、そんなことは」
にこりと笑って頭を下げ、イルカはイビキの前から辞した。軽い枝走りの音を聞きながら、大男はうっすらと溜息を吐いた。
「それは、ナイでしょ」
「上層部の命令だ。とにかく調べろ」
「メンドー」
のそりとテントに入ってきたイビキの切り出した話にカカシはまず大あくびで答え、それから再び毛布を体に巻きつけた。昼間の暑さが嘘のように、夜半には土の下から湿った冷気がしんしんと湧き上がり、早朝には霜すら立つこともあるこの不均衡な土地は、ただそこにいるだけで木の葉の忍の体力を削いでいく。対抗する術は、体温を守りながら充分に眠ることだけだ。カカシは目を閉じて手を振った。
「わかったからもう帰ってー」
「頼んだぜ? これは温情だ」
「は、たいした大隊長様だーよ」
言ってろ、と言い捨て表に出、イビキは側の立ち木を見上げた。かすかに頷いた白い面が跳び、青黒い夜空に薄い軌跡を描く。指先に届いた小さな紙片を掠め見、イビキはそれを即座に燃やした。
「全く、上の連中ってヤツは」
吐き捨てると淡く光っている焚き火へを足を向けた。いつかのテントを通り過ぎていると、隊長のアオバが布を捲くってイビキを見上げた。
「何かあったのか」
「いや。あったかいもんでも、もらってくるかと思ってな」
金属性のカップを見せたイビキは、視線を外さないアオバに近付いた。
「どうした」
「カカシが新しい副長だってな」
アオバは声を潜め、布をわずかに下げた。
「なんだ、不満か」
「逆だ。始めからそうしていれば、前副長は死なずに済んだんじゃないか? 完全に力不足だったからな」
めがねを鼻の頭に押し上げ、アオバはレンズ越しの細い目を気負うことなくイビキに投げた。
「あんたの弟弟子だったな、トウキは」
「それは関係ない」
「あいつは自決したようなもんだ。毒針をそうとわかっていて受けやがった。どうやら『役職』が気に入らなかったらしいな」
「……むごいことをする」
「誤解だ。副長任命時に、性処理が主任務だと俺は確かに伝えた。連絡ミスなのかいやがらせなのか、トウキは純粋に、高位職に採用されたのだと信じていたらしい」
「そもそも、なんで今回に限ってそんな分担を思いついたんだ、イビキ。普通は戦務を外された専任が、隊全部の処理をするものだろう」
「下忍か下位の中忍、そういった者が慰み者になっているような隊は、長丁場には耐えられない。精神性が薄汚れ、腐臭を放つようになる。その時は勝って帰れても、その臭いはとれん」
「おまえが潔癖だったとは知らなかったな」
「そうじゃない。副長として格を整えれば、たとえお義理であっても合意で済まさざるを得ない。それだけで随分と暴走が減る。処理をする者される者、双方が人間性を失わずにいられることが、戦闘そのものに冷静さを加えて生存率を上げる。医療忍の不足を補うために考案された、苦肉の策の一つだ。俺は悪くないと思ったんだがな」
「……で、カカシが次の副長か」
「処理率は落ちるだろうが止むを得ない。それともあんたがやりたかったか」
「冗談じゃない。そんなことで、もう一人の副長は大丈夫なのか」
「あいつには始めから伝わってたんだよ。今回のことで、俺とイルカぐらいしかカカシを使わんぞと予告してやったら、副長としての仕事の配分を減らしてくれるなら構わないと言った。わかっているタイプだな」
「イグサが? そういう質だったかな。前線が長いようだからそういう修羅場も抜けてきたということか」
「さあな。寝物語に聞いてみてくれ」
「それこそ冗談じゃない」
「まあ好きにしてくれ」
大股で踏み出し、イビキは焚き火に近付いて行く。火の番はイルカ、消そうとしている仕草にちょっと待てと声をかけ、イビキはカップを突き出した。
「なんでもいい、熱いものをくれ」
「煮詰まっちゃって辛いんですが」
「構わん」
生薬の煮汁を鍋から掬ってカップに入れ、イルカは肩を竦めた。
「ナツメを入れすぎましたからよく眠れると思います」
「適当だな、おまえはいつも」
「それも長所ということで」
赤黒い液体を口に含み、イビキは一瞬目を瞑った。
「不味いでしょう」
「全く……」
ははは、と笑ってイルカは自分も四角い金属製のカップに煮汁を入れて口に運ぶ。
「イルカ」
「はい」
斜め上から睨まれ、イルカはまた肩を竦めた。
「教師連中はどうだ」
「カカシさんも聞いてましたねえ」
中空に視線を飛ばしてイルカは呟く。
「バテてますよ。それから、俺もですけど全員シモの係だと思ってうんざりしながら来たんです。でも何も無いので拍子抜けしてますよ」
「ふん」
空いたカップを軽く振り、イビキは土を蹴り掛けて火を消した。
「あの、イビキさん、副長さんがソレだって噂もあるんです。嘘っぽいとは思うんですけどどうなんですか?」
背中を丸めてあぐらをかくイルカは無意味に笑っている。イビキは曇った夜空を仰いだ。
「……伝達系はどうなっているんだ。噂の方が正しいぜ」
「ううーん、そうかあ。皆に言っときますね。でもどっちにしろ俺らには関係ない話ですけど」
「使えよ。副長二人はそのための要員だ」
「はあ。それじゃあ聞きますけど、俺らヒラが副長を押し倒すのって、どうすりゃいいんです?」
「やらせて下さいって手紙でも書け」
「あはは、本気で言ってるんですか!」
「本気だ。そうしろ」
へえ、そうなんだと目を細めるイルカを一瞥し、イビキは自分のテントに戻ろうと背を向けた。
「イビキさん」
「なんだ」
振り返ると、イルカは首を反らして逆さの顔でイビキを見ていた。
「俺がカカシさんにお手紙書いてもいいんですよね?」
「念願かなうな。がんばれよ」
はあいと笑う間抜けな顔に思わず鼻で笑い返し、イビキは黒い裾を翻した。
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