激情1

「暗い……」
「うん、暗いわね……」
「ちっとは浮上すっかと思ってたんだがなあ」
「元々ああいう質が強いしねえ」
「暗いのはあんた達も、だよ」

 足取りだけは軽快に、ぼそぼそと会話するジャッキーとラッドの後ろからアグネスが苦笑する。
「だって、ねえ……」
「あいつ、朝からだんまりじゃねえかよ」
 グローグの丘を離れて山際を急ぐ彼らの先頭には、ただ黙々と歩くラムザがいた。この前日、オーランの言葉に力づけられたラムザは野営の間も口数が多く、目に見えて気力を取り戻していた。しかし皆が朝起きてみると、彼は焚きっ放した火の前にむっつりと座り込み、その隣ではムスタディオが必死であれこれと言葉を垂れ流していたのだった。
「あんた、何かやったんじゃないのかい」
「ち、違うって!」
 アグネスの視線にムスタディオが両手を振り回す。
「俺だってびっくりしたんだからな! 食ってる時にはあれだけ元気だったのに、夜警の時にはなんだかぐったりしちまってて。具合でも悪いのかって聞いたけど、大丈夫って言ったきり黙っちゃってさ」
「まあ、ラムザは常に気分にムラがある奴だからね……」
 頬に手を当てるアグネスに頷くのは元傭兵達、ラッドは腕組みをしながら高く澄んだ空を仰ぐ。
「アルマちゃんのこと、ずっと考えてるんだろうな」
「随分、時間がかかったからねえ。この情報をなんとしてもモノにしないといけないね」
「会いたいでしょうね……」
 先を行くラムザの背を見つめ、ジャッキーもアグネスと同じ仕草をした。


 わずかに俯いた姿勢でのめるように早足で歩きながら、ラムザは背後の声を聞くともなしに耳に入れていた。
「会いたい、か」
 かすか、隣のアグリアスが顔を向けてくるのに首を横に振る。
 時は無情に過ぎた。アルマが生きているらしいとわかったことすら、奇跡に思える時間が経っている。ぴったりと隣を歩く人のぴんと伸びた背中をちらりと盗み、ラムザは深く息を吐く。
 オーボンヌで出会ったあの時、アグリアスはがむしゃらにオヴェリアを追う、という選択もできた。しかし彼女はそうしなかった。やるべきことを行い、粛々とディリータの痕跡を追い、主をその手に取り戻した。抱える不安は自分だけのものとして。
 それを見てきたからこそ、自分は誰の命も無駄にせず、ここまで辿り着くことができている。その選択は、正しかった。だが。
 果たしてそれを、アルマの目の前で言えるだろうか。
 オーランや仲間達の暖かさに心がほぐれるほどに、心の底に凍ったものがゆっくりと頭をもたげてくる。
 アルマは、兄の言葉を聞いてくれるのだろうか。もはや、とりかえしのつかないところまで追い詰められているかもしれない妹は、自分を許してくれるのだろうか。
 そして、そんな最悪の筋書きばかりが頭を満たすのは、自分がやってきた罪咎の深さ故なのか。

「アグリアス様」
 かすかに安堵の響きを混じらせ、一歩後ろに控えていたラヴィアンが手を伸ばす。足元ばかりに投げていた視線を上げ、ラムザは一つ瞬いた。
「ヤードーだな」
 アグリアスの簡潔な言葉の通り、ヤードーの堅牢な門が間近に迫っていた。城塞都市の名に相応しい、大作りの石門が彼らの眼前にそびえている。ミスリル鉱石を含んでいるらしい薄青い石を組み上げたそれは、ほうぼうが黒く焦げている。五十年戦争時代、ここまでロマンダが侵攻して来たという証だ。
「ちいっと気をつけた方がいいようだな」
 見上げるラッドの視線の先、門の最上に作られた歩哨に兵士の姿が幾人か見えた。矢を背負った男達は一行をちらりと見下ろし、すぐに雑談に戻る。それに安堵しながら門をくぐって街中へと入り、皆は足を止めた。
「……すごいな、この街」
 ムスタディオの声に頷き、アグリアスがローブを深く被り直す。ラムザも無言のまま目線を遠くへと投げる。
「ザランダが、子供の手遊びに見えちゃうわねえ」
 ジャッキーが手でひさしを作って街を見渡している。その街は、門と同じ石で作られた城壁で囲われているだけではなく、数多くの建物もその硬い石で構成され、無骨な外見を呈していた。小さな物見台までを最上部に備えた家が目立ち、一般市民すら戦いを意識して設計された家屋に住まっているらしいことがわかる。視界を邪魔するような無駄な隔壁は一切無く、その代わりに深い堀が街を幾つもの区画に分断している。そこに掛けられた橋は、敵の侵入を防ぐためいつでも落とせるように可動式になっており、生活そのものが戦争を基盤として成り立っているようだった。
「徹底しているな」
 感心した声音で呟いてから、アグリアスが足を踏み出した。つられるように彼女の後に続き、一行は辺りを見渡しながら歩き始める。目立たぬように路地裏を選んで街の中央まで進むと、商店が集まっている場所に行き着き、そこでラムザがやっと口を開いた。
「買い物を済ませたら宿を取らずに進みたいんだけど、どうかな」
 見回せば、いいぜ、と最初に言うのはラッド、頷く者ばかりであることに意味も無く気まずさを感じながら首をかしげ、ラムザは前髪をかきあげた。
「……そう。じゃあ、装備関係はアグネスとジャッキーに頼むよ。残った者は食料と水の調達だ」
 ここから先は、一旦南西方向に下がって砂漠の端を進むことになる。そのための準備を頭に入れて散らばって行く仲間を見送り、ラムザは下ろしていた荷物を抱え上げた。共に残ったラヴィアンが幾つかの皮袋をボコの背から下ろして言った。
「まずは井戸、ですね」
「うん。堀の水が綺麗ならそこからもらってもいいんだけど」
「それはやめた方がいいでしょう。家畜を洗ったりしているようですし」
 近くの堀を見下ろして言うラヴィアンに頷き、ラムザは住宅が密集している方向を指差した。
「とりあえず、あっちに……」
 言いかけた時、ラムザの手に巻きつけていたボコの手綱が強く引かれた。
「ちょ、ちょっと、」
「待って、ボコ!」
 慌てて駆け寄るラヴィアンの手をすり抜け、ボコはジェリアと一緒に走り出した。引きずられるか踏ん張るか、一瞬迷ってからラムザは手綱から手を離し、完全に自由になった二頭は一声嬉しげに鳴くと、あっという間に姿を消した。
「……どうしましょう」
 唖然とした声に、ラムザも額を押さえた。
「どうにもならないね。いい人に拾われることを祈るよ」
「武具をボコに積んであるのに……」
 困ったわ、と眉を下げるラヴィアンに肩を竦めて見せ、とにかく井戸を探そうとラムザは歩き出した。
「たぶん、ジャッキーを探しに行ったんだと思うよ。僕にはなついてないから」
「そうだといいのですが」
 うな垂れるラヴィアンのいかにも生真面目な様子に、近衛騎士というものは皆こんな風なんだろうかと思いながらラムザは先を行く。
「戻って来なくても仕方ないよ。元々ボコは野生のチョコボだったんだし、誰のせいでもない」
 ほら井戸だ、指差しながら振り返った。不安げな顔を向けてくるラヴィアンの肩を叩き、四角い井戸の側へと寄る。桶に水を汲み入れていた女に声をかけると、旅人ならば好きなだけどうぞと快く釣瓶を渡してくれた。


「いませんね、ボコ達」
 四つの皮袋に水を満たし、来た道を戻りながらラヴィアンはまだちらちらと背後や細い道の奥をうかがっている。そうだね、と返してラムザは不意に気付いた。
「そうだ、あなたの服を買わないと」
 え、と瞬きしてラヴィアンは足を止めた。
「そんな、今あるもので充分です」
「ムスタディオのお下がりのつぎ当てだらけの服で? 本当に?」
「ええ、もちろんです!」
 にっこりと、自信満々に言い切るラヴィアンに吹き出ながらラムザは商店の群れに目を向けた。
「だめだよ。いつまでもそんな格好されてちゃ、ラッドに噛みつかれる」
「え? いえ……そんなことは……」
 途端に頬を赤く染めるラヴィアンににやりと笑ってやり、ラムザはラヴィアンの腕を掴んだ。いつも自分とアグリアスをからかうラッドの気持ちが少し理解できたような気がする。
「とは言っても、古着屋でしか買えないけどね。それで我慢して」
「いえ、だから、私はこれで、」
「はい、ここ。入って」
「ラムザさん! 本当に、そんな贅沢は……」
 無理やりラヴィアンの背中を店に押し込んで出入り口を塞ぐように手を広げると、彼女は諦めたように首をすくめた。
 店主は気のよさそうなおかみで、ラヴィアンの背格好をざっと見て手早く服を選んでくれ、今着ているものも、ほんの小銭しか出せないが買い取ると言う。
 しばしの後、こざっぱりとした服に着替えたラヴィアンと二人、ラムザは店を出た。
「申し訳ありません……」
 そう言いながらも、彼女はつぎ当ての無い服に嬉しげだ。
「気に入ったみたいで良かったよ」
「大事にいたします」
「いたしてもらうような服じゃないけどね」
 ふふ、と笑って顔を見ると、彼女は何か言いたげにラムザを見返した。
「なに?」
 いえ、と微笑みながらラヴィアンは服の袖を撫でた。
「笑ってくださったので。これでよかったのだと思ったのです」
「……そんなに、僕は不機嫌そうだった?」
「いえ! あの、」
 慌てるラヴィアンに、いいんだと苦笑してラムザは皮袋を持った自分の手を見つめた。
「みんなに気をつかわせているんだって、わかっているんだ。でも、時々どうしようもなくなる」
 黙って言葉の続きを待つラヴィアンを短く見つめてから、ラムザは待ち合わせ場所に向かって小道に踏み込む。人気の無い路地裏には、子供達の笑い声だけが響いていた。
「不安だよ、とても」
「ラムザさん……」
「誰よりも、僕が弱いことを知っているのは僕だから。なのにたくさんの人が僕を追う。そして僕は僕だけじゃなく、仲間の命も背負って行かなきゃいけない。そして今は、たった一人の妹の命を、この手で掴み取らなきゃならないんだ」
 一気に弱音を吐いてから、ラムザは顔を上げた。眉を下げているラヴィアンは、再会する前よりもずっと優しい目をしている。
「だから、大目に見てよ。多少癇癪を起こしても、ね」
 上手く笑ったつもりだったが、ラヴィアンは悲しげに微笑み返してきた。
「お力になれるように尽力いたします。一矢を落とすだけしかできなくとも、もてる限りの力をアルマさんのために使うとお約束します」
 思わず足を止め、ラムザは陽の光を受けて透けるように淡く輝く茶色の目をまじまじと見つめた。
「どうして?」
「はい?」
 その声と同時に、二人の脇を走って抜ける子供達に押されて皮袋の中で小さく水が音を立てた。ラヴィアンは幼い背を一瞬目で追ってから、ラムザに視線を戻した。
「あなたも、あなたの上官も、どうしてそんな風に言えるの? どうしてそんなに簡単に、他人のために全てを捧ぐなんて……」
 軽く頭を傾け、少し考える様子を見せてからラヴィアンはゆっくりと唇を緩ませた。
「それは……」
「嫌、私は嫌! もう我慢できない!」
 口を開きかけたラヴィアンがさっと頭を巡らせた。ラムザも思わず視線を滑らせていた。甲高いだけではない、奇妙に印象の強い音楽的な響きをもつ声だった。
「自分が何を言っているのかわかっているのか、ラファ!」
 次に聞こえた声に最初に反応したのは肌だった。ぞっと背筋が凍る。どんな顔をしたのだろうか、ラヴィアンがぎょっとラムザを見上げて警戒の気配を沸き立たせる。
「兄さんこそわかっていない! 私たちは道具じゃない、人殺しの道具なんかじゃない! あそこにいたら死ぬまで私たちは『道具』として扱われることになるのよ、マラーク兄さん!」
 逃げよう、そう必死に言い募る年若い女の声は、ラムザ達の前方から流れてくる。勝手に走り出した足はわずかの距離で止まり、古い民家の崩れかけた壁から中を覗いたラムザはきつく胸を押さえた。
 あの、男だ。
 アルマのことを知っている、あの奇妙な男だ。マラーク、女はそう呼んだ。衣服の色は先だっての夜とは違って白だが、体に貼り付けたような細身の印象は同じ、向かい合っている少女も似た格好をしている。被った布を頭に留めつけている輪だけが、血のように赤く光っていた。

 見つけた。見つけた、見つけた!

 『城へ来い』と言った男の言葉など、脳裏から消し飛んでいた。鐘のように体中に心音が響き、視界さえもが揺らぐように感じる。
「いけません!」
 唐突に、潜めた声が耳元で聞こえて右手首に指が触れる。それでやっと、自分が剣の柄を握っていることに気がついた。
「相手が二人とは限りません。皆さんを探して参りますからそれまでどうかこらえて下さい!」
 力のこもった目に見つめられ、ラムザはぎりっと唇を噛んだ。そのままぎこちなく頷く。きっとお待ち下さいね、と念を押してからラヴィアンは足音を立てずに背後の小道に走って行った。
 その背を睨むように見つめ、大きく呼吸をつぎながら、ラムザは右手から力をぬくべく努力を始めた。だが、どうしても手が柄から離れない。
「戦争で親を失った俺達兄妹が生きてこられたのは誰のおかげだと思っているんだ」
 やや、語調を和らげた男の声が聞こえる。ただ一人、男の前に躍り出る自分の姿を想起しながらラムザは必死で目を閉じた。
 ――全てを無駄にするつもりか。だめだ、待つんだ、待つんだ!
 神経を逆撫でする声は、どこか淡々と説得する声音に変わっていく。
「あのとき拾われていなかったらオレたちはきっと野垂れ死んでいた。そうだろう、ラファ。大公殿下はオレたちを可愛がってくれたんだ。その恩を仇で返すつもりなのか、おまえは、」
「兄さんは騙されている」
 冬の夜を渡る鳥のような、冷え冷えとした声が男をさえぎった。
「私は聞いてしまった。戦火に乗じて村を焼き払ったのは、誰でもない、兄さんが大好きな大公よ」
「ラファ?」
「嘘じゃない。嘘じゃないのよ!」
「おまえ、一体何を……」
 きつく閉じたまぶたをそのままに、異国の楽器のような少女の声に集中する。
「聞いて、兄さん。何故大公がそんなことをしたと思う? あいつは私たち一族だけが知っている一子相伝の秘術を手に入れるため、私が受け継いだ天道術と兄さんの天冥術、この二つの術を手に入れるため村を焼いた。私たちの父さんや母さんを殺した張本人はあいつよ」
「……」
「目を覚まして兄さ、」
「馬鹿なことを言うな!」
 同時に肌を打つ音が聞こえた。薄く開けた視界に、顔を背けた少女が映る。彼女は切れたらしい唇をぐっとぬぐい、兄と呼ぶ男を見上げて軽蔑を含んだ眼差しで微笑んだ。そして次の瞬間、その細い腕が振り上がり何の加減もない拳が男の頬を打った。
「……兄さんは知っているでしょう」
 少女の声は低い。あえて拳を受けた風情の男は、眉間に深く皺を刻んでいる。
「私が……私があいつに何をされたか」
 わずか、男の体が揺れた。
「知っているくせに」
「それ以上言うな!」
「知ってるくせに、兄さんは知っているのに!」
「やめろ!」
「やめない!」
「それ以上言うと、オレはおまえを、」
「どうするっていうの、ねえ、どうするっていうの!」
「ラファ!」
「何ができるのか見せて、マラーク兄さん……」
 肩を震わせ、少女は男に背を向けた。強い風が、肩まで垂らした彼女の真っ直ぐな黒髪を乱して吹き抜け、その特徴的な顔つきをあらわにする。イヴァリース人よりも彫りの浅いそれは、ラムザの知る誰にも似ていなかった。マラークと呼ばれた男を除いては。
 ぶるぶると震えながらも、少女は泣いてはいなかった。凍ったように動かない二人は強い緊張の中にしばらくたたずみ、やがてマラークの手がためらいがちにラファの背に伸ばされた。
「こんなところにいたのか、マラーク」
 瓦礫に近いように見えた家屋の中から、人影が複数歩み出てきた。目を細め、ラムザは身を低くした。少女を含めて全部で七人。ようやく、握った柄から指が離れる。
「斥候の報告じゃ、そろそろあいつらが街に着く頃だぞ」
 気軽な様子で二人を見比べながら、マラークに並んだ男が言う。
「……わかっている。準備は万全だ」
 抑揚なく答え、マラークは伸ばした手を下ろした。
「兄さん……」
 呆れ果てたようにも、絶望しきったようにも聞こえる声が流れた。その直後、ラムザの目の前の壁に小さな石つぶてが当たって跳ねた。はっと背後を窺えば、肩で息をするラヴィアンを先頭に、アグリアスとラッド、ムスタディオの姿が見える。アグネスとジャッキーは見つからなかったようだ。
( 出 撃 )
 ゆっくりと、噛み締めるように手話で告げる。皆がはっきりと頷く様子を認め、ラムザは離したばかりの手を剣の柄に戻した。胸の中に沸き立つ真っ黒な感情が命じるままに。






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