ストーリー考察

史実(ゲームシナリオ)をねちこく追求

 



その1 ラムザ神童説
 

 ドラクロワの妾腹発言から推測するに、正妻存命時にラムザは婚外子として誕生した可能性が極めて高い。当時、ダイスダーグ21才、ザルバック12才。むむむ。この歳の差は、50年戦争でバルバネスに暇が無かったからだろうか・・・? それは置いといて、オヴェリアが18歳前後であっさり結婚したことから、当時のイヴァリースは早婚? すると、この歳の子供を持ってる正妻は、推定年齢40±3歳くらい? なれば、ラムザらの母親は20歳くらい。血迷う天騎士! 脱線してますが本題はここから。
 4、5歳の時のシドがラムザに会っているのはご本人の談からも確か。すると、その頃にはラムザはベオルブ家に引き取られていたことになる。正妻の産んだ息子が2人もいるのに愛人の子供を引き取る、というのは、愛人=ラムザの母親が亡くなったから、と考えるのが自然。アルマが生後すぐに修道院に預けられたことからも、アルマを産んですぐに母親は亡くなったのではないか。当時ラムザは
1〜2歳
 そしてイグーロス城でのイベント。「アルマの口調が母さんに似てきた」と笑うラムザに脅威の神童説浮上。

 
その2   当たっちゃった
 

 「1」に関連して。バルバネスは正妻を立てていたに違いない。おそらく身分の高い家の出であろうから、妻の実家との折り合いも考えて。それよりなにより妻に対して、「愛人+そのベビー達と一緒に住みまーす(はあと)」とか、「別で作っちゃった。育ててねv」とか言えるとは思えない。ラムザらを引き取った時点で正妻も死亡していないと困ったことになるのである。もう一度書きますが、妾腹、というからには、正妻がいて愛人が産んだ子供と考えたい。少なくとも愛人がラムザを産んだ時点では正妻が存命だったが、1年後には正妻と愛人は前後して死亡し、アルマは修道院へ、ラムザは引き取られた。即ち、妻も愛人もまだ若いというのに、次々と死亡していることになる。これだけでもバルバネスに「ナニカ」が当たっちゃった感じがする。
 そしてやっぱりこれはちょっと怪しい。クサイ。奴のアビリティの臭いがするぜ、石岡くん。ダイスダーグのアビリティ「毒殺」の臭いがすると思わないかい? ホントに悪いのはパパなのですが、父の愛人に対するダイスダーグのイメージが、「忠実だった母を苦しませた挙句に死なせた憎い女」となったとしても異常ではない。「殺してやる! 殺してやるからなー!」と突き抜けちゃったダイスダーグが、「産後の肥立ちは如何ですか by ばるばねす」とか書いたカードを付けて、毒入りごちそう便をせっせと送ったんじゃなかろうか。
 そしてこの殺人によって「毒殺」に味をしめた兄ちゃんが、同じ方法でオヤジも始末してしまった、となれば、ホント、色々なものが当たっちゃったよね、パパ。 

 
その3   独身倶楽部
 

  獅子戦争終結間際、ダイスダーグ39歳、バルザック30歳(推定)。「ベオルブ家もお終いだ・・・」と言うからには子供はいない、おそらく独身、ということだろう。やっぱり戦争で忙しかったからだろうか。それにしても、ベオルブ、ベオルブ言ってんのに、有力な貴族と政略結婚もさせずに妙齢の息子達を放置していたバルバネスの意図はどこにあったのか。それに、ダイスダーグは政略結婚とか、ものすごく好きそうだ。自分はもちろん、ザルバックに良いとこのお嬢さんを宛がうなど、嬉々としてしそうなものなのに。
 で、やはりこれは、家庭内不和の影響かと。父母はしっくりいっておらず、挙句の果てに母親の違う末弟と妹が現れる。その前後は相当な家庭内冷戦だったことだろう。その上父は末弟の将来を気に掛け(自分の死後、兄達がラムザをどう扱うかが心配だったりすると、より悲惨)、片腕となるような臣下(ディリータ)を幼い頃から与えたりする。それを見ている兄達はがんばってきた自分の人生に空しさを覚え、なにより「家庭」そのものに失望。そんなもの持たなくても、子供さえ死ぬ前にどこかで作っておけばいいのさ、オヤジみたいにね、と極論に走ってしまう。バルバネスも身分に関係なく愛した女の存在と、罪滅ぼしの意味もあって、息子達に結婚を強制しなかった。などと、ここら辺りを考えていると、ベオルブ家は随分前から心情的に「お終い」だったような気がする。

 
その4   名門オークス家のお嬢様
 

 アグリアスは近衛騎士団に所属し、元老院によって選ばれ、オヴェリア警護の長として派遣された。ここからオークス家は相当の名門であると窺われる。王直属の騎士団であるからには、それを構成する貴族はより王家に血筋が近く、その中から特に選ばれ、オヴェリアという特殊な立場にある王女を警護する、となれば、攻略本にも書かれているように、オークス家は、単なる貴族の棟梁であるベオルブ家と比較し、実質上、高位になるだろう。ただし、王直属故に、近衛騎士団の活躍する場は限られるんじゃなかろうか。オークス家がシナリオ上でさほど重要視されないのは、50年戦争中でも王の身辺警護にあたっており、取り立てて武功を上げなかったのでは。守ってあたりまえ、という事で。
 アグリアスは騎士としては若すぎるのに非常に優秀で、王女の警護の長にあたっている。50年戦争のごく末期にでも従軍し、実戦経験が豊富だったのか。イヴァリースの戦う女は戦う男と対等である感じがする。騎士として優秀ならばいくらでも高い位置まで登れるのではないか。となると、女性としては結婚からは限りなく遠ざかるものではなかろうか。もしアグリアスが一人っ子であったなら、両親は彼女を騎士にしなかったかも。優秀な臣下を選んで早い内に結婚させるのが得策ではないかと思う。
 更に、彼女の言葉遣いは男性的。沢山登場した他の女性騎士はそんなでもなかった。女を捨てた、という訳ではなさそうだし、家庭環境にあるような気がする。母親は希薄なゲームなので、オークス家でも母は早くに亡くなっていたり。アグリアスは逞しい父と兄に素直に憧れ、二人に褒められるからどんどん鍛錬して強くなって、更には頼りない弟がいたりして、可愛がって守っていたりしてたら、とってもアグリアスさんっぽい!(激しく妄想が入ってきたのでこの辺で終了)

 
その5   ティータが、ティータが助けてくれたんだ 
 

 ディリータのこの台詞、色々解釈が分かれるところ。精神的なものを指す、というのが一般的だろうか。複数のサイトさんで冗談やネタとして、彼女は瀕死の状態でディリータにリレイズをかけて・・・とか囁かれているが、私は結構それが正解かと思う。ゲーム中ではティータにはフェニックスの尾などのアイテム、白魔法、拳術も効かない。しかし完全に死んでいるならクリスタルになっても仕方ない状況で、そうはならないことから、手遅れの致命傷を負ってなお息がある、という表現では。
 ディリータは、成長する過程でどうしても戦いに赴くことになる。側にいられないティータにせめて、護身術を教えたとしても別段不思議ではない。アルマはマベリアを持っているから、そういった魔法系の知識が幼馴染の二人の間で取り交わされることは自然だし、まあゲーム内でのアビリティはともかくとしてティータが護身的な魔法を身につけていた、というのは無理な考えでは無さそうだ。感動的かつ強引に話を持っていくなら、ティータは兄の身を案じ、白魔法の訓練をしていたと。中々上達しなかったが(ので、アビリティに無い)あの爆発の中、目の前で命の危険にさらされる兄を見て初めて、プロテスが成功した、とかね。リレイズでは、死なないと効果が出ないからちょっと悲惨なことになるかもしれない。
 そんな気持ちで「待つ者へ」を書いてみたりした訳で。ティータにはティータなりの強さがあったと信じたいので、そういう意味も込めて彼女が直接的にディリータを助けた、という意見に一票。

 
その6   黒い時代のことやから
 

 ジークデンでの戦いは、ラムザにとって「世界の終わり」だったと言ってよいのではないか。次兄の命令でティータを失い、そのために親友に去られ、そして見逃しがちだが、ラムザ自身はあの時点で家名を裏切ってしまったと思われる。あのイベント時、アルガスはザルバックの支配下にあり、「後は頼む」と言われて援軍を呼んだ。アルガスは個人的に討伐作戦に参加していたことから、その援軍は高確率で北天騎士団を借り受けたもの、即ちザルバックの部下であると考える。ザルバックの部下を倒すという事はベオルブ家に逆らうという事、妾腹の生まれを武功で補おうと熱望していたラムザに、その事実は重い。
 ラムザは、ティータを殺したのは「ザルバック=貴族」の高慢(他にも言い方はある)だと思いながらも、ベオルブの存在意義を否定し切れなかった。あの時ラムザが本当に「逃げ出し」たのは状況からではなく、自分の心の葛藤からであったと思う。それ故、ガフガリオンに従う、という何も考えなくて良い道を選んだのでは。清廉なラムザが従った相手が残忍さで名を馳せるガフガリオンであったのは、自分への懲罰の意味からだろうか。闇の更なる闇を愛するガフガリオンの熱狂的な墜落思考に、いっそそうなれればどんなに楽だろうかと憧れを抱いたのかもしれない。
 ガフガリオンは金になる仕事を好むから、その仕事内容は陰惨なものだったと思う。その後の生き方と見比べて、傭兵時代のラムザがガフガリオンと共に仕事をこなす姿を想像する事は難しい。しかし、傭兵時代が下敷きとして存在したからこそ、ラムザは頑なに潔癖で優しい者として戦い続けることができたとも考えられる。自分を偽って投げやりに生きた黒い時代と比べれば、「異端者」と呼ばれようとも信じる正義を貫いた時代は、ある意味幸せな年月だったろう。

 
その7   地下書庫の苦悩
 

 現在2003年12月17日。「二人の兄」の3枚目を作成している最中である。これが、かつてない程難航している理由として、地下一階での言い分が、全くもってウィーグラフが正しいと私が思うからである。
 ウィーグラフはホワイトナイトであって「清らかなる精神が編み出す技」としての「聖剣技」を身に付けた。反面、ディリータやアグリアスのようなホーリーナイトにとっての「聖剣技」は「洗礼を受けて神の庇護を受ければ使用可能な技」である。この違いは重要に思われる。素直に受け取れば、ウィーグラフは誰に教えを乞う事無く「聖剣技」を身に付ける程高潔な人物であった。この高潔さは「聖剣技」に絡む以上、信仰心が原点となると考える。となると、ウィーグラフが神殿騎士団を選んだ理由は力を欲した他に、信仰も含まれそうだ。もちろん、50年戦争時に骸騎士団を作らず素直に神殿騎士にならなかったのはなぜか、という疑問は残る。単に当時は技量不足であったからかもしれないし、彼の信念と騎士団の有り方との差異のためだったかもしれない。その差異が「力が欲しいあまりに」強引に埋った、というのはありそうだ。
 ラムザは「教会の犬に成り下がった」とウィーグラフを痛烈に批判するが、ホワイトナイトが信仰に関連するなら「犬」である事になんら不都合は無い。更には「ウィーグラフの反貴族意識と教会の利害が一致した」という理由付けが成されているが、これは教会側から見た利用価値であって、ウィーグラフ自身は聖石に関わるまでは教会の裏側を知りはしなかっただろう。「裏を知った時点でなぜ脱しなかったのか」と問うならばまだしも、崩壊し単なるテロ・犯罪組織となっていく文字通りの「骸」に苦悩し続けたウィーグラフに、たった一人で一からまたそれをやれ、と言うラムザの言葉は子供の持つ毒であると思う。
 ラムザという少年期を脱しかけた存在と、挫折を繰り返した疲れた魂であるウィーグラフ。地下書庫での戦いは、FFTのテーマそのものである、未来を求める子供と限界を知っているあざとい大人との戦いだ。大人側に立つ私としては、ラムザは単純に、ウィーグラフが神殿騎士団としてシモンを殺しアルマを誘拐し、悪事に手を染めながら綺麗な言葉で民を支配しようとする点を、責めるべきであったと思う。そして、ラムザがウィーグラフが信念を曲げた事に固執する裏側には、かつて高潔で敵として戦いたくなかったような男が変貌してしまった事への、恨みが存在すると感じる。ラムザ自身が自分の信念を貫く事を覚悟し、同時にその重さを実感し始めていたからこそ、ラムザはウィーグラフの変貌を許せなかった・・・
 なんだかまとまらない。この項目は、またいずれ考えてみたい。

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