鉄と石 2

「あんた達はドラクロワ枢機卿にお会いするんだってな」
 空の葡萄酒の箱に座って二人を見上げ、ムスタディオは落ち着き無く足をぶらつかせた。
「あの方は50年戦争の英雄だ。ゴーグは海を隔てているけれど、あの方の名声は高いよ。俺も親父と、この国をまとめる力を持っているのはあの方だけだって話したことがある。きっとあんた達の話を聞いてくれて守ってくれるさ。お姫様も安心だね」
「何が言いたい?」
「俺も、一緒に連れて行ってくれないか? 枢機卿にお会いしたいんだ」
「何故だ?」
「親父を助けたいんだ! バート商会から親父を取り戻すにはもう、枢機卿のお力を借りるしかない。でも一介の機工士にお会いできる方じゃないってことも分ってる。あんた達にくっついていけばなんとかなるだろ、頼むよ、連れていってくれよ!」
「だから何故父親を誘拐されたのか、その理由を聞いているんだ!」
 声を荒げるアグリアスが剣の柄を握っているのを見て、箱の上でムスタディオは後ずさった。が、ぴったり側に寄っているラムザに小突かれる。ムスタディオは狼狽して俯くしかない。
「今は話すことができない・・・」
「では駄目だ。おまえを連れて行くことはできない」
 澄まして言って顔を背けるアグリアスの袖を慌ててムスタディオは掴む。
「お願いだ、俺を信用してくれ、枢機卿に会わなきゃいけないんだ!」
「だから訳を話しなよ、君がまず僕らを信用して話してくれないと始まらないって思わない?」
 ラムザの言葉にはっとして顔を上げ、それでもムスタディオは唇を引き結ぶ。
「俺と親父だけのことなら話す・・・。でも、村の皆に関わる事だから」
 ちらりと目線を合わせ、ラムザとアグリアスは微かに頷く。事情とは別の場所で彼は信用できそうな人柄のようだった。
「そのくらいにしてあげましょうよ」
 やはり気になったのか、話を聞いていた風のオヴェリアが戻ってきた。
「これはオヴェリア様、先ほどは失礼しました」
 ラムザが膝を付き、くすくすと床を見ながら笑う。
「いやね、突然。やめてちょうだい」
 オヴェリアは軽やかに笑ってムスタディオに向き直った。
「私達が助けてあげられるかもしれないということが分かりました。一緒に行きましょう」
「本当に!?」
 立ち上がって駆け寄るムスタディオは安堵の表情を隠さない。
「ありがとう、お姫さま!」
 なんて言い様だ、とアグリアスが呆れた顔になる。これは本当に子供なのだろう。
「王女の御前、失礼とは思わぬか?」
 からかったつもりだったがムスタディオは慌ててオヴェリアの前で膝をついた。その所作にアグリアスの方が困ってしまった。アグリアスったら、とオヴェリアが睨むようにして笑う。
「いいのよ、本気にしないで。立って下さいね」
「本当にありがとうございます。俺、もう、一人でどうにもならなかった・・・」
 安堵と苦痛の両方を滲ませてムスタディオは立ち上がり、オヴェリアを真摯に見つめて頭を垂れた。
「お父様が心配ね・・・元気を出して」
「ともかくも、おまえが我々に危害を加えることはないと信用しよう」
 オヴェリアにじっと見つめられて、アグリアスも受け入れる言葉を出した。
「うん、俺は機械のことしか分らないから安心していいよ。この銃もあんた達に預けておく。後で使い方を教えるから、それまでは不用意に触らない方がいいけど」
 言って腰から銃の入ったベルトを外し、弾と一緒にアグリアスに押し付けた。いや、そこまでは、と言いかけ、しかしアグリアスは頷いてそれを自分の腰に巻いた。



 ムスタディオの勧めで彼らはその晩は隠れ家で過ごし、明朝早くに発った。街がまだ動き出す前の早い時刻、登る朝日を眺めながらの出発だった。その日は一日歩き通して旅程を進め、夕刻にはバリアスの丘を望む小さな村に行き着いた。宿らしいものはなかったが、何も知らない親切な村人が提供してくれた空家を借りて彼らは寝床にありついた。寝台を使って眠れる日が続き、ラヴィアンとアグリアスの傷も完全に癒えて、後はライオネルへ到着するばかりだった。
「オヴェリア様、ご覧になれますか、あの山の向こうがライオネル城ですよ」
「まだ遠いのね・・・ドラクロア枢機卿は本当に助けてくださるのかしら・・・」
 空家の裏手には、雑木林に紛れ込むように石造りの家屋の残骸が取り残されている。その中央でオヴェリアはアグリアスを心配そうに見つめた。出発を控え、オヴェリアを励ますため連れ出して来たのだったが、彼女の不安はアグリアスの想像以上に深いようだった。ディリータの言った、利用される者としての人生をオヴェリア自身が肯定しているようにも聞こえ、アグリアスは励ます言葉を急いで探した。
「枢機卿は王家に対する忠誠心が厚い方だと聞き及んでおります。それに、今のところラーグ公とゴルターナ公との政権争いに対しては中立の立場を取られているとか。オヴェリア様をどちらかに渡す、というような不義はなさらないでしょう」
 そうですとも、とラヴィアンとアリシアも頷く。
「そうだと良いけれど・・・」
 ここに来てのオヴェリアの不安げな様子に、アグリアスは自分の読みが甘かったことを恥じながら主人の肩をそっと触った。努めて明るく振舞い、けなげに前に進もうとしていてもこの方はまだ16にもなっていない少女なのだ。
「それに、枢機卿はグレバドス教会の信望を厚く受けられています。枢機卿が請うて下されば、教会も無下には出来ません。オヴェリア様を受け入れてくれるでしょう」
 笑顔を見たいと思いながら言葉を紡いでも、その頼りない望みの光にオヴェリアは哀しく唇を緩ませるだけだった。手遊びに木立の葉を千切っては風に任せ溜息をついている。
「王女になど生まれてこなければよかった・・・」
「オヴェリア様・・・」
 全否定の言葉にアグリアスは愕然と、しかしどこかでそれを知っていたことを心に痛く受け止めた。兄を父と呼ばねばならない身の上も、養女になってすぐに修道院に入れられて辺境での生活を余儀なくされたのも王位継承権の複雑さ故、唯一女王としての誇りある日々を期待したのもつかの間、第三王子の誕生でついえてしまった。彼女は確かに何時も、誰かの期待や思惑のままにその身柄や立場を移されてきたのだ。
「私は修道院の壁しか知らない。堀で囲まれた空しか・・・あなた達は知らないでしょうね、私、オーボンヌの前も修道院にいたのよ。義兄上様の養女に迎えられた時もそれを知ったのは修道院の中だった。私の身分がどう変わろうとも、いつも灰色の壁の中だったわ・・・」
「そうでしたか・・・」
 言葉が無かった。その人生を飢えて死ぬ赤子と比べても、どちらが不幸かアグリアスには分らなかった。
「それが嫌だっていうのじゃないわ。つまらないのは確かよ、私って何者かしら、と思ってしまうのも確か。でもそれ以外の人生を知らないから引き比べようがないの。これでもそれなりに楽しく暮らしてきたのだと思っているわ。ただ」
 オヴェリアはアグリアスの肩にそっと手をやった。
「そんな、何者かも分らない私のために誰かが死んだり傷ついたりすることが辛いわ。私にただ、王女という名があるってことだけで」
 その手に自分の手を重ね、アグリアスは静かに微笑んだ。不敬に当たるかもしれないとは今は考えまい。
「オヴェリア様がご自分をお責めになることはありません。我々は王家のために尽くすことが誇りなのです。最悪死ぬようなことがあっても、その時我々は幸せなのだと、そのような生き物なのだとお思い下さい」
「でも、あなた達にも人生があるのよ。私のために失って良いものではないわ」
「では、こうお考え下さい。我々もオヴェリア様と同じように、忠誠を尽す、という壁の中で育てられたのだと」
「アグリアス・・・」
「その壁しか知らないので、他の人生と引き比べようが無いのです。確かに空しいと思う時が来るやもしれません。しかし、結局は王家のために何かを成せれば、それが例え自らの死であろうとも、良い人生だったのだと思えるでしょう」
「・・・そうね、私も覚悟をしなくてはならないのね・・・。ごめんなさいね、ううん、ありがとう、アグリアス、ラヴィアン、アリシア」
 分っておいでなのだ。時に心弱く心情を吐露したくなる時、それを聞いて差し上げる位置にいることもまた、自分の役割なのだと、アグリアスは哀しい微笑みを見つめながら忠誠を心に強く誓う。
「そもそもオヴェリア様を利用しようとする者どもがいけない。決して私が許しはしません、ご安心下さい」
 オヴェリアは、ふふ、と笑ってアグリアスを小突く。
「そういう強いアグリアスは好きだけれど、そんなに強くちゃあなたを守ってくれる人を見つけられないのじゃない?」
「良いのです、私は守る方が性に合っているのです」
 思わず笑うラヴィアン達をきっと睨み付け、アグリアスは照れたように顔を背ける。守ってもらう、など、考えたこともない。本当に。
 ぷち、と小さな音がまた聞こえ、オヴェリアが葉を風に流す。
「アルマを覚えてる? 彼女もずっと修道院で育ったの。二人で同じ境遇ねって笑ってたのよ。そうやって笑ってしまうことも出来るのにね・・・」
「ベオルブ家のアルマ様ですね、私もよく、可笑しな話をお聞きしたものです」
 こくん、と頷き、オヴェリアは遠くの空を見る。
「元気かしら。私のたった一人の友達」
「落ち着かれたらまたご連絡いたしましょう」
 そうね、とオヴェリアは言い、風に紛れるように呟いた。
「枢機卿は私を利用したりしないかしら・・・」
 聞かない事にするには重すぎ、聞いたからといって何も言えず、アグリアスはただ黙ってオヴェリアを見つめた。哀しく見つめ返した時、せめてそれを受け止める存在でいたいと、一人ではないのだと伝えたかった。

「ラムザ、どこだ、出発するぞ!」
 ムスタディオの大きな声が聞こえてアグリアスは振り返った。ぎょっとしているラムザが木立の向こうに見え、ムスタディオは不思議そうにラムザに何かを言っている。聞いていたのか、と思うがラムザならさほど気に留めることもなかろうと知らぬふりをする。それがどういう感情かは自分でも知らない。彼にオヴェリアの立場を知っておいてもらうのはむしろ良いことだと思えるのだった。
 アグリアスが付近の様子をムスタディオに聞いている間に、オヴェリアの隣に来てラムザが草笛を教えている。若い葉を選び、小さな穴を開け、唇の当て方をやって見せていた。オヴェリアも上手に音を鳴らし、二人が笑って顔を見合わせた姿に、アグリアスはそれを、いや、それに似た景色を以前にも見た、と思った。良く似た色彩と面立ちを持つ兄妹が、オヴェリアを通して重なったことなどアグリアスには分からなかったが、不思議で美しい光景は彼女の心に強く印象を残したのだった。

 その午後にはバリアスの丘に差し掛かった。南に向かうにつれ、季節を逆行することになって初夏のような日差し、良い風だと殊にジャッキーがはしゃいだ。彼女はウォージリス出身で寒さに弱く、暖かくなりゆく気候を喜んでいた。一息つくか、と皆が上着を脱ぎ始めると、ジャッキーは丘に駆け上ってチョコボと一緒に楽しげに日光浴を始めた。ムスタディオもそれを追っていく。ラムザらが水を回し飲んでいる間、2人と一羽は並んでぼおっと日差しを浴びていた。太陽の島、と呼ばれることもある、年中暖かいゴーグの機工士は肌も太陽の色を映した色、ジャッキーと違ってよく突付かれてはいるものの、チョコボともよく似合っていた。
 のんびりした空気を破ったのは突然の怒声だった。
「見つけたぞ、小僧!」
 ばらばらと現れたのは一隊の傭兵達だった。ラヴィアンが慌ててオヴェリアの肩を抱えて物陰に駆け込み、ラッドがその後を追って、二人の前に剣を抜いて立ちはだかった。
「他の奴らには用はねえ、小僧を置いて行け!」
「目的は俺だ、なんとか話をつけてみるよ」
 ムスタディオの無駄な言葉にラムザは弓を背負って答える。
「彼らを見てみなよ、君が出て行ったら一気に矢が降るよ、ともかく僕らの後ろで援護してくれればいい」
 そう言われればプライドが傷つくが、彼らの戦いぶりは既に身に染みている。自分には真似できそうにもないと、ムスタディオは仕方なく頷いた。アグリアスが通りすがりにムスタディオに銃を投げ返し、剣を構えて飛び出した。
「言われるままになる我らと思っているのか!」
「おまえらが何者かはどうだっていいんだよ、俺たちだって無駄に血を流したいわけじゃねえ!」
「ムスタディオは渡さないよ、欲しかったらまず僕らを何とかしてみなよ」
 ラムザとアグリアスが二人して挑発する間に、ジャッキーとアグネスがローブを羽織って背後に回る。まずは敵の召喚士を焼きにかかろうという作戦のようだ。
「そのムスタディオとかいう小僧を大人しく渡せば手荒な事はしねえ、どうだ! 置いていく気にならねえか!」
 リーダーらしい剣士が前に進んでくる。
「そちらこそ大人しく引き上げるがいい! 争いに乗じて虜囚を取る者など必ず討ち果たしてみせよう、そう、おまえ達の頭目のルードヴィッヒとやらに伝えるといい!」
「仕方ねえな! 綺麗な姉ちゃんを殺すのはしのびねえが、力ずくで奪っていくとするか!」
 アグリアスは気合の鬨を上げてその剣士に走りこみ、二人の刃が火花を散らした。ムスタディオはその凄まじい形相と、それ以上に彼女の言葉に驚いていた。
「あれだけ疑ってたのに」
 小声を聞きつけ、剣を手にして並ぶアリシアがそっと笑った。
「あの方は、大体一目で人柄を見抜くのよ。あなたの事情はともかく、信頼できると始めから思っておられたわ」
「そうなのか・・・」
「少し試しておられたけれど、あなたがあんまり無防備なので反対に心配してらっしゃったわよ」
 何のことだか未だ分らなかったが、なんとも気恥ずかしく俯いてしまう。
「さ、気を抜かずにその銃の威力を見せてちょうだい」
 言ってアリシアも弓使いを目指して走り出した。ムスタディオも唇を引き締め、彼女を狙う弓を持つ手に狙いを定めて引き金を引く。撃った弾が肉に食い込む感覚を心に重く感じながら、自分が来てしまったこの道行きに、今は前向きにならねばと顔を上げた。
 その戦いは僅かな時間で終わった。戦い慣れたラムザ達には易しい相手であった上、ムスタディオの銃が効率よく相手の戦力を奪ったからだった。アグリアスはその傭兵のリーダーが気に入ったらしく、いつもより加減をして誰の命も取らなかった。元より殺害には積極的でない彼女は、甘いだろうか、とラムザを振り返った。お好きにどうぞ、とラムザは肩を竦めて見せた。頷き、アグリアスは彼らから主だった武器を取り上げると来た道を指差し、去ね、と一言言った。リーダーの男は両手に弓使いと召喚士を引きずり、他の仲間にさっさと歩きやがれ、と怒声を浴びせて立ち上がり、ちくしょう、今度会ったら犯ってやるからな、とどこか笑い混じりに言って去って行った。
「なんだかな・・・」
 ラッドは少し羨ましげに彼らを見送っていた。彼が最後尾の召喚士の女にこっそり幾つかポーションを渡したのをラムザは見ていた。もちろん他の者も気が付いていただろうが、誰も何も言わなかった。
「ちょっと思い出しちまった」
 今更、何を、などとは聞かない。ラムザはうん、と頷き、ラッドの肩を叩くと彼らから背を向けた。ラムザ自身、自分には傭兵家業が向いている気がしていたから、それ以上は見ないでおくのが賢明だろう。
 一行が動き始めた遠い背後で、さっさと歩けってんだ、このろくでなしどもが、と男が怒鳴るのが聞こえた。それをかき消すように、アグネスが陽気な声で
「ほら、ライオネルまであと少しだよ!」
と霞む白い城を指差してからムスタディオを振り返った。
「まだ話す気にならないんだねえ。強情なんだから」
 ねえ、とラムザの顔を覗き込んだ。彼女もがんばって気を変えようとしている。
「そうだよ、理由を話してくれないなんて寂しいね」
 ラムザは気の無さそうに、それでも協力する。ラッドも不必要に大きな声で、言っちまえ、言っちまえよと笑う。
「すまない、まだ話すことはできないんだ、信用していないっていうのとは違ってさ」
 本当にすまなさそうなムスタディオはがりがりと頭をかいた。
「まあ、無理強いしても良いことはないだろうな」
 アグリアスがオヴェリアをチョコボに乗せながら苦笑する。
「その内機会もあるだろう、それより銃の撃ち方を習いたいものだ」
「ああ! それなら何時だって教えるよ!」
 ムスタディオはぱっと顔を上げて明るく言う。馬鹿正直な態度に呆れる一同の中、オヴェリアの笑い声だけが軽やかに風に乗った。






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