「さてと」
ブラスカは静かに言った。ジェクトはいつものように尊大にテーブルに足を上げ、そっくり返って座っていて、アーロンは入ってきた戸口の横でぼさっと立っている。
「お説教タイムですよー」
ブラスカがにっこり笑った。
「あー、怖え、怖え、お尻ぺんぺんかあ?」
「お望みなら、裁きの杖(即死効果付き)でぺんぺんしてあげますよー」
「あーそりゃ楽しそうだなあ。わはははは」
「うふふふふ」
笑顔の攻防。アーロンは寒さを堪える時の仕草で両足をもぞもぞした。気候は真夏である。
「座りなさい、アーロン」
霜が降りたような声にアーロンは確かに数センチ飛び上がった。ギクシャクと椅子に向かい、ぎーぎーと引きずった末に、二人ともに背を向けて座った。小さくなってうなだれている様子がとても可哀想だよなあ、とジェクトは思う。
「こっちを向きなさい、アーロン」
「はっ」
ぴょこ、と頭を上げて、椅子ごとくるっと向き直る。
「素直でよろしい」
アーロンの顔面は蒼白、ちょっと突付けば泣きそうで、ジェクトはうずうずする。
「なあ、ブラスカよお」
「はい?」
「アーロンは悪くねえだろ。俺だけシバきゃあいーじゃねーかよ」
「またそんな、ホントにジェクトは面白いんだから」
「面白かねーよ……」
「あはあはあは」
マジ怖え。ジェクトは足を降ろしてきちんと座った。ブラスカの視線は全く温度を上げない。
「さてアーロン」
「はっ」
「あなた、今まできちんとお勉強してきましたよね」
「はっ」
「経典の第二十三節を暗唱してごらんなさい」
「はっ……」
「は、じゃないです。言いなさい」
「……」
「アーロン?」
「うっ、生まれ落ちた枝、同じ枝の果実と交わることは罪悪である、同じ色の果実もまた苦難を与う……ひとたびそのように行えば、永遠にエボンを失うだろう……」
「第二十四節!」
「だっ第二十四節……こっ婚姻無き交わりは祝福を受けない……後に結べども変わらず……」
「アーロン」
氷の目がアーロンの体感温度を極限まで下げる。
「は……」
「君はこの二つの教えを破りましたね」
「ブ、ブラスカ、様、」
「破りましたね?」
「……ハイ」
見ていられずにジェクトは天井を仰いだ。
「小難っかしいことでわかんねー」
「第二十三節は、親、兄弟姉妹、同性との性行為を禁じるものです。第二十四節は婚前交渉を禁じています。あなたには関係のないことですがねえ」
確かにここではないどこかから来たジェクトには無関係の掟だ。しかし、アーロンは本気で怯えて涙ぐんでいる。二十五にもなって恥ずかしいねえ、と思ってみるが、どう考えても無理やりヤってしまった自分が悪い。
その時アーロンは本当に嫌がって、口でするから許してくれと言った。今までにそういう事をさせられた経験があるらしい提案の仕方に無性に腹が立って、殴りつけて両手足をベッドに縛り付けて口にはタオルを詰め込み、と、これ以上ないほど完璧な強姦を実施してしまったジェクトだった。そうやって無理やりに体を開いたので出血が酷くて翌日歩けず、当然、ブラスカには速攻でバレた。
「さてアーロン。どうしますか?」
「ど、どう……」
「困るんですよねえ、それでは」
「ブ、ブラスカ様……申し訳ありません……」
「申し訳ないのならなんとかしなさい」
「なななななんとか?」
「私達は寺院を巡っているんです」
ぴしり、とブラスカは言った。
「高僧の中には罪悪を形ではっきり見る方がおられるそうですよ。あなたを連れて行ったらどうなることでしょうねえ。祈り子様との対面どころか、寺院の敷地にも入れないかもしれないね」
「そんな……」
「きれいにしておきなさいね」
「え……」
「考えなさい。キレイにするんです。ジェクトもね」
「はあ?」
ブラスカは立ち上がり、疑問符を頭に突き刺している二人をゆっくり見比べる。
「分かりましたね?」
ちょっと石化しかかってアーロンは頷いた。ジェクトはごしごしと首筋を擦った。
「おい」
ブラスカが退出した部屋で、同じ姿勢で二人は座っていた。
「……」
「どうすんだよ」
「……知るものか」
「なんとかってなあ」
アーロンは頭を抱えた。苦悩、ここに極まれり、という風情で膝の間に額を埋める。
「やっちまったもんをどうしろってんだよ、なあ」
「どうにかする方法があるんだ、きっと。そうでなければああはおっしゃらない」
「女ならなー」
「?」
何か希望があるのかも、とアーロンはジェクトに顔を向ける。
「俺のザナルカンドには膜を作りなおす手術ってのがあったぜ」
「ま……」
「どっちにしろ、ここじゃあなあ」
「……一つ方法がある」
どす黒い声。
「お、なんだよ、思い出したか?」
「あんたのモノを切り取って祭壇に捧げて三日三晩祈るんだ……」
「マジ!?」
「嘘だ! 馬鹿!」
「……」
アーロンは、はあ、と息を吐き、顔を上げ、何かに祈るように天井を見上げた。
「ともかく、ブラスカ様にお聞きしてくる。俺には分からない」
「ちゃんと話せるのかよ。……大丈夫か?」
「あんたにそういう事を言う資格なんてない!」
アーロンは椅子を蹴倒すようにして立ち上がると、どかどか床を蹴って出て行った。そして数分後、彼はうなだれて戻って来て、掛ける言葉もないジェクトに背中を向けてベッドに潜り込むとフテ寝を始めたのだった。
それからというもの、二人は必ず同じ部屋やテントに泊まらされた。考えろ、ということらしいが、ジェクトには中々のお仕置きだった。手の届く距離に、アーロンが無防備に背中を曝して眠っているのだから。
始まりは酷かったが、最終的にはうんと可愛がって自分に夢中にさせる、それが俺様の予定だったのに。
「くっそー、ホントなら今頃はイカせまくってるはずなのによー」
眠るアーロンが寝返りを打ってジェクトの方に顔を向けた。悲しそうに眉を寄せている。きっと夢の中でもブラスカに謝っているのだろうと思うと、なんとかしなければならないと激しく思う。激しく思うとヤリたくなった。そんな自分が哀しくなって眠れない日々が続く。
旅程だけは進んで、翌日はジョゼ寺院という夜、ブラスカはアーロンに明日までになんとかするように、と言い置いてさっさと部屋に引っ込んだ。到底可能とは思えないその言葉に、アーロンは、はい、と小さく返事をし、ジェクトはそれを横目で見る。
部屋に戻るとアーロンは暗い顔で荷物を広げ始めた。整理に没頭している姿にジェクトは頭を掻きながら声をかけてみる。何か様子がおかしい。
「おい、アーロン」
「なんだ」
「どうするよ。ちょっとキツイおこごとかと思ってたんだがなあ、ブラスカ、本気だぜ」
「そんなこと、初めから分かっている」
「……? おい、何してんだよ、オメー」
ジェクトは、アーロンが大半の荷物をいつも背負っている鞄から出してしまって別に小さな包みを作っているのを覗き込む。
「これ以上ブラスカ様の大切な旅の邪魔をする気はない」
最小限の装備だけを背負ってアーロンは立ち上がった。
「おい、」
「後は頼む。あんたは別の場所の者なんだから、きっと大丈夫だろう」
「待てよ、」
「ブラスカ様を頼んだぞ」
静かな声に本気だと気付く。ジェクトが慌てて肩を掴むと勢いよく身を引き、アーロンは顔を引きつらせて彼を拒絶した。
「触るな……! これ以上罪を重ねたくない!」
「引きとめてえだけだ、ちょっと落ち着いて考え、」
「ガードを辞めろ、ということだったんだ!」
破裂したようにアーロンは叫んだ。
「アーロン……」
泣きそうだ。ジェクトは伸ばした両手を持て余してぶらぶら振った。慰めてやりたいのに。
「何したって無駄だ! 遠まわしに去るようにおっしゃっていたんだ、ブラスカ様は!」
「んな訳ねえって」
「うるさい! 俺は行く!」
「オメーは全くよう、固いんだよ……」
ジェクトはドアに突進するアーロンの腕を掴んだ。行かせたくなかった。しかし、アーロンは焼けた鉄を当てられたように腕を引き、激しく後退った。小さな荷物が床に転がる。
「触るな!」
「おいおい、落ち着けよー」
「触るなったら!」
「もうしねーよ」
「あんたが、あんたがあんな事をするから……!」
「あー、うん、俺が悪かった」
「あんたがあんな事をするから!」
アーロンは涙を溜めてジェクトを見た。全身が震えている。
「……マジで。悪かったよ」
「うるさい、うるさい、何が悪かった、だ!」
「他になんて言やいーんだ」
「……」
「睨むなって」
「……」
アーロンはジェクトから顔を背けると無言で床の荷物を拾おうと屈んだ。ジェクトが頭のバンダナを外すのとほぼ同時。荷物に伸ばされた手を捕まえ、腹の前で両手を拘束するまで約二秒。
「ジェクト!」
「うるせー、耳元で叫ぶな」
「は、外せ、外せ、今すぐ!」
「だぁめだ。頭冷やせ」
「こ、こっちの台詞だ!」
「おら、座れって」
「ひっ、引きちぎる!」
やりかねないのでジェクトは背中からアーロンを抱えてベッドに座った。足の間に座らせたアーロンが魚のように暴れているのを抑え、結んだ手首をしっかり掴む。
「なんにもしねーから。じっとしろって」
「離せ! 馬鹿!」
仰せの通り、片手だけ離して頭を撫でた。よしよし、と。
「おめえが消えたら、ブラスカはがっかりする。絶対だ」
「離せって言ってるのが聞こえないのか!」
「俺だってがっかりする。オメーがいるから面白れえのによ」
「玩具にされるのは沢山だ!」
アーロンは悲痛な声を出した。ぶんぶん振っている頭から水滴が飛んでジェクトの頬に掛かった。
「そんなんじゃねえよ……」
背中を向けているから表情は分からない。ジェクトもまた、素直に落ち込むことにする。
「じゃあ、なんであんなことしたんだ!」
「いや、まあ、ヤリたかったしなー」
「やっぱりそうじゃないか!」
「ヤリてーのが悪いかよ」
「悪いに決まってる! おっ、女の代わりにしたんだろう!」
「おーい、落ち着けよ」
「お、女の代わりに……」
静かになった。自分の台詞に傷ついたらしい。洟をすすっている。
「いいトシして泣くな」
「うるさい……」
机の上で揺らめいていた灯りが消えた。こいつみたいだな、とジェクトは思う。強いようでいつも揺れていて、不意に燃料が切れる。
ぐすぐすやっているアーロンをしっかり抱いた。震えている体に思い余って首筋に唇を当てるとアーロンは静かに、やめろよ、とだけ言う。おや、と思って耳たぶを噛むと溜息を吐いて、嫌だ、と呟く。
「何もしないと言った……」
「まだなんもしてねえよ」
「離してくれ」
「これからヤルけどな」
「ジェクト!」
「一回ヤったんだし、もういいじゃねーか。出てくんなら出てけ。その前にもっぺんヤラせろ」
「嫌だ!」
「じゃあ、待ってやる。早くその気になれよ」
「……馬鹿か? そんな気になるわけがない」
「なるって。心配すんな」
「馬鹿なんだな……。かわいそうに」
「るせー」
「頼むから、離してくれ……」
「るせーんだよ」
ジェクトはアーロンの頭を掴んで振り向かせた。まだ涙が乾いていない頬を触り、唇を寄せる。アーロンは驚いて目を見開いたが、全く抵抗しなかった。多分そうだろうと思っていた。キスすると慌てて目を閉じたから、そのままの姿勢で続ける。始めは逃げていた舌は、ほんの少しの愛撫でジェクトの味に魅せられた。舌の絡まる卑猥な音に、アーロンの体は熱くなり、次第に積極的になる舌が吸われることを喜んで誘うままに幾らでも差し出された。
二人分の唾液が喉まで垂れた。少しずつ体重を移動させ、唇を離さないように気をつけてベッドに倒れる。アーロンは不自由に拘束された手を上から回してジェクトの頭を抱え、離れれば死ぬ、とばかりに力を入れている。背中に指先が欲しくてジェクトは顔を上げた。離れた唇の間から、嫌だ、というようにアーロンの舌が少し突き出てジェクトを追った。
「口技だけは慣れっこってか」
バンダナを外しながらジェクトは意地悪く言った。朦朧とジェクトを見つめるアーロンはかすかに笑う。自由になった手は途端に頬を触り、頭を引き寄せ、もっとくれ、とねだるから、もちろんジェクトはそれを歓迎した。
キスだけをした。アーロンはそれだけを求めていたからジェクトもまた、それを求めた。二人とも勃起していたが長い時間、キスだけをし、互いに唇も舌も痺れ、ただ触れ合うだけになっても続けた。アーロンがそれを望むなら、朝まででもそうしていたいとジェクトは熱い体を抱き寄せる。もっと近く、もっと深く。
繋がることだけが罪悪ではない。挨拶じみたキスでも心を犯せる。どこまでが禁区なのかなんて、誰にも言えはしない。知っているのは二人だけ。
これで罪悪も決定的だ、と溜息のようにアーロンが言い、ジェクトは好きならいいじゃねえかと言い、初めからそう言えとアーロンは目を閉じた。唇を触れ合ったまま、二人は眠った。
次の朝、どうしても着いて行きたい、許しを下さい、と懇願するために、アーロンは意を決してブラスカに駆け寄った。しかしブラスカは、アーロンの顔を見るなりにっこり笑い、よろしい、よくできました、では出発しましょうと言った。訳が分からぬまま寺院に入り、祈り子との対面を待つ。ブラスカはかつてなく快調で、三十分ほどで召還獣をもらってしかも祈り子相手に世間話までしてきたらしく、楽しかったあ、と戻ってきた。上機嫌だった。
寺院を出るとアーロンは、ちょっと済みません、と言って道端に座り込んだ。よほど緊張していたらしい。ジェクトとブラスカは囲むようにして疲れきっているアーロンを見下ろした。
「オメー、ずっとぶつぶつ、お祈りしてただろー。カワイイなー」
「ホントにねー。信じてたんですねえ、罪悪が見えるって話」
がば、と顔を上げてアーロンはブラスカを見た。
「ホラかよ……」
「当たり前です。そんなこと出来たら<僧兵>なんて職業、成り立たないよ」
「ええっ」
「見えないから怖いんですよ」
「……趣味わりぃぜ、ブラスカよ」
呆れてジェクトはブラスカを小突いた。アーロンはがっくり地面に手を突いて項垂れている。
「何言ってるんですか。掟やぶりは間違いないんですから」
「それにしてもよー」
「ま、待って下さい、ブラスカ様!」
立ち上がったアーロンは掴みかからんばかりにブラスカに詰め寄った。両手を上げてブラスカは降参する。
「ははは、悪かったよ、アーロン。ちょっとやりすぎたね」
「そんなことではありません、ブラスカ様! では、出発の時、何を許して下さったのですか!?」
「あー、そういや、よくできました、とか言ってたな」
「そりゃあ、アナタ達が本気だと分かったからですよ」
「んん?」
「遊びはいけません、遊びはね」
「で、でも……」
言いよどんでアーロンは下を向く。
「第二十三節と二十四節が……」
「おや、まだ暗唱し足りないようだね、じゃあ、第四十五節を言ってみなさい」
「第四十五節?」
「いいからいいから」
「……第四十五節、心の形は天上の青。真実を得よ、それは全てを凌駕する……。これがなにか?」
「やだなあ、エボンの教えの一番イイところでしょう、知らないのぉ?」
「え、いや、確かに、神の慈悲を語る時、必ず引用される節ですが……」
「真実は手に入れなさい、ということだよ。心は自由なのだからね。君達が昨夜ナニしたとしてもそれが真実必要なことなら構わないんだ」
「おおー! 気前いい神さんじゃねえか!」
「ふふふ……どうだろうね……」
大いに含みのある笑顔。この男、本当はエボンを、と思ってジェクトは止めた。ブラスカの目は笑うのを一時停止しているから。
「怖えよ、ブラスカ……」
「ふふふ」
「ナニしてもって……」
アーロンの握った拳が少し震えている。
「なんだよ、まだ納得しないのかよ」
「ナニもしてません! 昨夜はキスだけ、ああっ」
「……馬鹿だね、このコは」
「馬鹿だな、こいつは」
アーロンは耳まで赤くして、もう何も言うまい、と口を閉じた。
「さ、お腹が減る前に、次の町に移りましょう」
先頭に立ってブラスカは明るく言った。ガード達もその後ろを守って歩く。こきこき首を鳴らしながらジェクトも上機嫌で、アーロンは誰とも目を合わさないようにそろそろと。
「それにしてもよー、よく分かったなぁ、ブラスカ」
「何がです?」
「いや、まあなんだ、昨日ちょっと俺らがイイ感じになったって分かったんだろ、だから合格にしたんだろーが」
「ジェクト!」
「オメーは黙っとけ」
くすくす笑ってブラスカは真っ赤なアーロンと満足げなジェクトを見上げた。
「そんなの簡単です。朝、アーロン走って来たでしょ」
「は?」
「この間は立てなくなったじゃないですか。もし二度目があったなら、アーロンの状態は大して変わりゃしないはずですよ」
「は……」
「にもかかわらず、二人揃って口腫らして睡眠不足のクマ貼り付けて。一晩中、ちゅーしてたってまる分かりですよ」
ブラスカの「ちゅー」の発音は普通ではなかった。アーロンは今更だが口を隠し、ジェクトですら身をよじった。
「ちゅーだけで一晩! ステキです……! ここまでされたら反対する理由などないですよ、ね?」
「ねって……」
ブラスカはうっとりと両手を胸の前で組んで天を仰いだ。
「私も若い頃を思い出してしまいました……。彼はステキでした……」
ガード達は、今、カレって言った、とは到底指摘できず、ふわふわと楽しげに歩いていく彼らの偉大な召喚士の背中を見つめるのであった。
その他 TOP