「しかしまあ、アーロンには驚いたぜ」
「可愛いでしょう? 大事に育てたんだよ」
「……そうでしょうとも」
育てるもなにも、一種の調教じゃねえのか、とジェクトは心の中で呟く。
「中々普通にしてくれないんだけど」
「……アーロンが、じゃなくて、おめーが、だろーが」
「何言ってるんだい、最初からああいう反応だったんだよ」
「嘘吐け。あんなカタブツが」
「ふふふふふ」
魚の旨煮を口に運びながらブラスカは遠い目をして不審な笑いを漏らした。
「おめーさ、そういう笑い方止めろって」
魚料理の店を選んだ。店内は混雑していたのでカウンターに並んで座った。ブラスカは意外とよく食べるので眼下は既に皿でいっぱいだ。蟹の殻を割りながら、ジェクトは幸せそうなブラスカを横目で見る。
「始めは冗談だったんだよ。……本当だって」
ジェクトの呆れた視線に笑いながらブラスカも蟹に手を伸ばす。
「妻が亡くなったすぐ後だから、あの子が二十二の頃だったかな」
「お? カブってねえんだな」
「あたり前です。私は貞操を守るタイプですから」
貞操って言葉、今更似合わねえ……と言いたいが我慢する。
「私が落ち込んでいて、ユウナはまだ四つで手が掛かって。以前から付き合いがあったあの子が久ぶりに我が家にやって来たんだ」
自棄にはなるが、ユウナは可愛い。だから三度の食事はきちんと作る。しかしその他の家事はさっぱり。
シンによって破壊された街を復興するため、僧官として尽力していたことからブラスカは実際忙しかった。その上ユウナが走り回って母を捜すから、暇な時間は慰めながらじっと抱いていた。命にかかわらないところは完全な手抜き、すなわち、アーロンが見たブラスカ家はゴミ箱だった。
惨状を見てアーロンは言葉を失っていた。ほんの一ケ月で変わり果ててたブラスカ家。ブラスカの妻は大胆かつ繊細に家事を取り仕切っており、常日頃家の中は機能的にこざっぱりとしていた。アーロンはその家を何度も訪ねていたから余計に落差に驚いたようだ。ブラスカの妻が亡くなった直後に何度か訪ねてはいたが、その時は二人共完全にパニックに陥っていて、家のことには気付かなかったらしい。しかしブラスカの孤独をずっと気にしていたアーロンは休みをもらうとすっ飛んで来た。そして玄関に入るなり、その場から片付け始めた。よく来てくれたね、まあ、お茶でも、と言うブラスカは完全に無視、黙々と片付ける。
数時間後、きちんと分別されたゴミ袋を所定の場所に置くと、アーロンはやっと居間に座った。もちろん、自分でニ人分のお茶を煎れてから、である。
久々に心地良くなった部屋、すさんでいたブラスカの心も和らぐようだった。アーロンは当然の事、と澄ましていたが、ブラスカの笑顔に自分の仕事の出来映えを感じて満足しているようだった。ユウナは近所の仲良しの子供の家に行って留守だった。顔を見て帰ります、と言うので二人はとりとめのない話をしながらくつろいでいた。和らいだ午後の日差しが居間に広がり、穏やかな空気だった。
やがてアーロンは何かに気付いて立ち上がった。飾り棚の上の肖像画群だ。硝子の入った小さな額縁に入れて立ててある。ユウナが赤ん坊の頃から年に一回描かせているもので、結婚直後のブラスカの妻のものや、三人が並んだものもあった。
「埃を被っていたらもったいないですよ」
優しく言ってアーロンは布でそれらを拭いていく。ブラスカはなんともせつない気持ちになって、アーロンの背中を見ていた。ふと、その中の一枚にまつわる話を思い出し、アーロンに近づいた。なにげなく背中に触れて口を開こうとした。
瞬間、アーロンは過剰な反応をした。驚いたのではなく、触れられたからだ。今となってはそれが感じやすい背中だったからなのか、「ブラスカが」触ったからだったのかは分からない。恐らく両方だろう。ともかくも、からかいたくなるには充分、手にもった額縁をぱたり、と倒し、口を開けたまま固まった。
「どうしたんだい、くすぐったかった?」
アーロンはなんとか取り繕おうとしてブラスカに苦笑し、しかし倒した額縁を起して真っ青になった。結婚したての頃の妻の顔、そこに一筋の亀裂が入っていた。
「ああ、この中では一番古いものだからね」
ブラスカは青ざめているアーロンの手からそれを取り、中身を出した。絵には全く異常はなく、ただ硝子にヒビが入っているだけ。大丈夫だよ、と見せて笑うがアーロンは泣きそうな顔をした。この時には分からなかったが、この顔には意味があった。
「大丈夫だって」
「……申し訳ありません……!」
「硝子を替えれはいいんだよ? ほら」
「大事なものを……!」
「今のは君のせいじゃないだろう。私がやったようなものだよ」
「いいえ……なんてお詫びしたらいいのか」
「全く、君はすぐそうやって深刻になるんだから」
ブラスカは絵をそのまま立てかけ、しょんぼりしているアーロンの腕を引っ張ってソファに戻った。隣に座らせて、アーロンの顔を覗く。彼は本当に泣きそうだった。
「ブラスカ様をお慰めする大事な絵に、申し訳ないことをしてしまいました……」
困ったな、とブラスカは思案する。なんだかこのままじゃ、しょんぼり僧官舎に帰してしまいそうだ。せっかく来てくれて、掃除して食事も作ってくれて感謝しているのに、これじゃあ台無しだな。
「じゃあ、君が慰めて」
特に何をさせたい訳でも無かった。なんとなく口から出た。キスでも頂こうかとちらりと思ったかもしれない。ちょっとむくれさせれば気分も変わるだろうと、その程度のことだった。しかし、アーロンは何を思ったのか一気に顔を赤くした。
おやおや。
ブラスカの悪戯心に火がついた。真面目な可愛いアーロン。これだからからかい甲斐がある。
左手でアーロンの肩を突付き、肘掛に置いた右手をちょっと移動させて下腹部を指差す。
「ね。慰めてよ」
「おめー、そりゃ酷えって」
「あはは、だって、意味が分からないだろうと思ったんだよ」
蟹をたいらげ、次の海老にフォークを突き刺してジェクトは笑った。
「まあ、そうだろそうだろ」
「万一理解すれば、怒り出すかおろおろするか。どっちにしても楽しいだろうと思ったんだ」
「酷えよ、おめーはよ」
アーロンはぼんやり見つめ返している。ブラスカはにやにやして反応を待っている。どう出るだろう。怒ったら軽いキスでもして黙らせてやろう。でもきっと、何をすれば良いのですか? と可愛らしく聞いてくるのだろうけど。
しかし予想を遥かに越える事態が生じたのだった。アーロンはまた赤面した。怒るでもなく、悲しむでもなく、理解出来ていない訳でもない。ただ、その意味を正確につかんで耳まで赤くした。そしておやおや、どうしよう、とブラスカが思っている間に跪いた。
その時ブラスカは随分と怠惰な状態だったので、朝方、近所の集会所に治療に行ったままの僧官服を身に付けていた。アーロンはその長いローブの裾を手に取って、金具を外しにかかった。有事の際に行動しやすいように、ローブの裾は前開きになっている。金具を外して前を開けると中はスピラではごく一般的な緩いスパッツ。ブラスカが着けていたものはベルトと一体になっているもので、臍の前で金具を引っ掛けるタイプ。少し震えている手でアーロンはそれに触った。
何度か失敗して、最後にかちり、と外れた。その下の、縦に並んだボタンも外していく。面倒くさがりなブラスカは概ね下着を着けない。最後のボタンが外れる前に、アーロンの視界にはブラスカの性器が現れたはずだ。
まだその時点でもブラスカは思案していた。このままさせるのはあまりにも、あまりにも。かといって、冗談だ、と言うにはどうやら遅すぎる。アーロンが逡巡すると踏み、それをきっかけに止めさせようと思った途端、実直で潔い僧兵は、えいや、とばかりに口に含んだ。
「びっくりしたよ。困ってねえ」
「……おめーが言うな」
あらかたの皿が綺麗になった。ブラスカはまだ足りないようで、店主に手を上げ幾つか追加した。ウエイト調整が習い性のジェクトは食事は終了、弱めの酒を口に運んでいる。これはブラスカが許可し、自分も飲んでいる。
「どうしようかな、とか思っている内に私もその気になっちゃってね」
「アーロンにソレやられてその気にならねえ方がどうかしてるっつの」
「んん? 問題発言だね、されたいの?」
「ああいうカタブツに舐めさせるのって、なんか良くねえ?」
「……させたらちょんぎるからね!」
「うお、怖え。へえへえ、分かってるって」
下手だった。確実に、初めてする行為なのだと分かる。しかし、なんとも真面目にがんばっている。ブラスカがその気になってしまって容積を増やす毎に、苦労しながらそれなりに工夫して飲み込んでいる。何より、アーロンは夢中だ。
「美味しそうにするね」
髪を撫で頬を撫でしてアーロンをねぎらい、ブラスカは微笑んだ。ブラスカを熱っぽい目で見上げながら、アーロンは舌を動かし続けている。
「吸ってごらん? そう……少しだけ歯を立てて」
結局ノリノリで教えながらもブラスカは今後のことを考える。これきりにするのは惜しいが、こんな関係になるのは明らかに良くないだろうと思う。いずれ召喚の旅に出る時にはガードをしてもらおうと思っているくらいのこの信頼関係には、セックスは余計な現象だ。
「上達が早いね……」
一つ教えるとそれを展開させて複雑なこともマスターする。僧兵として優秀なアーロンはここでもまた、優秀だった。
「……もういいよ、限界だ」
アーロンは離れない。口に出すのはそれこそあんまりにもあんまりだ。ブラスカは引き離そうとするがアーロンは首を振って嫌がる。それがまた刺激になってしまう。
「いいの? 出すよ……」
アーロンは一層深く飲み込むことで答えた。ブラスカの腹筋の緊張に察し、腰にしがみ付いてアーロンは口内に熱い液体を受け止めた。上手に飲んで、最後の一滴まで絞り取った。
「咳き込みもせずに上手く飲んでたねえ。そればっかりは教えられないからあれは才能だねえ」
「うう。悪酔いしそう」
「しなさい、しなさい」
「……おい、まだ食うのかよ」
「運動するとおなかがすくんですよ」
「まさか今晩、まだがんばろうってのかあ、なんてな、ははは」
「当然。今夜こそ、普通に可愛がってあげるんです」
「……ご検討をお祈りします……」
その後すぐ、アーロンは顔を真っ赤にしたままブラスカの家を辞した。当分来ないだろうと思っていると、次の休みには朝から顔を出した。一週間分散かった部屋を片付け、調達してきた硝子を入れて額縁を復活させ、ユウナを昼寝させ、準備万端の上で今度はグラスを割った。安物のグラス。水が入っていた。不必要に恐縮するアーロンにブラスカは逆らえなかった。だからキスを教えた。腰が抜けるまで教え尽くしてから帰した。その次の休みには床掃除の水でブラスカの裾を濡らしてブラスカの愛撫で行かされ、次の休みには庭掃除をしていてユウナのおもちゃを踏んづけて互いに口を使い、その次、夕食の洗いものをしている時にやはり安物のヒビの入っていた皿を割って、とうとうセックスしてしまった。
ブラスカも事態を止められず、またとうに楽しんでいたので、その後は難癖の有無に関わらず抱くようになった。しかしアーロンはどういう訳かいつも、「申し訳ありません」と言わざるを得ない方向に持っていく。ブラスカも、ちょっとした失策を作ってやるのが癖になった。
「私が思うにねえ」
最後の焼き魚を噛み終わって、ブラスカは言う。
「ハイハイ」
そろそろ、と杯を空けてジェクトは答える。
「あの子、最初に硝子を割った時、割りたいと思っていたんじゃなかったのかな。絵を引き裂いてしまいたいって」
「……なんだよ、それ」
「私が妻に囚われてしまってまともに生活出来ていなかったから」
「そんなの当たり前じゃねーか。もし俺だったらティーダともども飢え死にしてるかもしんねー」
「ふふ、親はそうはならないよ。ただ、自分を追い詰めるね」
「ま、そーかな」
少ししんみりする。ジェクトには、故郷の妻をそうやって追い詰めている、という自覚があり、それをブラスカは察して腕をぽんぽん叩く。
「それが、嫌だったんだろう。彼女が私を苦しめていると思って。でも決してそんな短慮はしない子だし、そう思ったことが既に罪悪だと感じていたんじゃないかな」
「それで、「許してください」、か」
「いつまでも、いつまでもね。だからねえ、可哀想で、可愛くて仕方ないんだよ」
「はいはい、ご馳走さま。んじゃ、出るか」
包んでもらった持ち帰り料理を下げ、二人は店を出た。
宿に着き、部屋の前で別れる間際、ジェクトは首を掻きながらぽつりと言った。
「親がなくても子は育つ、ってよー、ホントだと思うか?」
「ホントですよ。そうじゃなきゃ、私もユウナを置いてきやしません」
「んー」
「いなくったって無かったことにはならないんですから。親子じゃなくてもすべからず、人の存在とはそういうものです」
どこかふてくされた仕草のジェクトに微笑む。
「それに、ジェクトは帰るのだから。きっと、帰れますよ」
首を傾げるようにして笑い、ブラスカは部屋に入った。苦い笑顔を返したジェクトが、自身の行方に何を察しているのかは考えまい。
「ただいま、アーロン」
アーロンはぼんやりと窓辺に立っていた。そこからではブラスカが食事から帰ってくる姿は見えない方向だが、きっと探してそこにいたのだと確信する。上着を脱いでいて、帷子から形の良い腕が伸びている。宿では軽装をしていい、と言ってもガードだから、と気を抜かない姿。
「お腹減ったでしょう。これをおあがりなさい」
「すみません、ブラスカ様」
「あ、謝るの、禁止ね。明日の朝まで禁止」
「え、」
「ほら、食べて」
「あ、はい、すみ、いえ……」
机を挟んで向かい合い、幸せな気分でブラスカはアーロンを見つめる。食べにくそうに時々ブラスカを見つめ返すアーロンの肩に、赤いキスマーク。
いなくなっても無かったことにはならないから。
「明日も晴れるといいですね」
アーロンの言葉にブラスカは窓から空を見上げた。
綺麗な星空だった。
ソファのある部屋へGO
背もたれの向こう側へGO
腹いっぱいどす……